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2007年12月 4日 (火)

なおちゃん その①

幼児期に住んでいた大田区のことを
ちろっと書いたら思い出が
どんどんあふれてくるね。

 

前回の意地悪あやちゃんと共に
私の幼児期の思い出に名を連ねる


「なおちゃん」。


なおちゃんは私より一つ年上の女の子で
同じアパートに住んでいた。


色白で
髪の毛が少し茶色で
目がぱっちりしていて
ようは、超!可愛い子なんだけれど、


超!!厳し~~女だった。


私を半分、「子分」扱いにしていた
なおちゃんではあるが
面倒見のよい姉御って感じで
自分が習得したものを
LARK子にも習得させなくてはならない!
という使命感に燃えている子だった。


そのときの特訓が、ちょっとの甘えもゆるさず
厳しいのである。

 

でもあたしは

・水泳
・なわとびの二重飛び
・自転車の補助輪卒業
・鉛筆を右手で書くように矯正(私は左利き)

などが
小学校に入学するまでに
出来るようになったことは
全てなおちゃんのおかげである。

 
 

《自転車の補助輪卒業》

補助輪卒業とは書いたものの
当時私は自転車を持っていなかった。
つまり補助輪つきの自転車ですら
乗った経験がなかった。


お誕生日のお祝いでピンクの
自転車を買ってもらったなおちゃん(当時5歳)は、
自分が補助輪なしで乗れるようになった途端、


「LARK子ちゃん(当時4歳)も自転車一つ乗れなくて
 この先どうする。」


と、(言ったかどうかは知らないが)
猛特訓が始まった。
なおちゃんのピンクの自転車で。


なおちゃんの特訓は厳しい。

 
私は3人姉弟の一番上で、要領のいい弟とは違い
ぼーっとした長女だ。
自分から何かをしようだなんて思いつきもしない女だ。
その上不器用極まりない女だ。

 
そんなLARK子がすぐに何かを出来るようになることは
おてんと様が西から昇ることがあっても有り得ない。


でも、なおちゃんにとってはそれでは困る。
大変困るのである。

 
だって、幼稚園や小学校から帰ってきたら
遊び相手は、このボーっとしたLARK子なのだから
自分と同じようにできなければ、何をするにも
楽しく遊べないのである。

(また私はなおちゃんに素直に従っていたらしい。
 意地悪あやちゃんは素直に従わなかったらしい。
 子分にぴったり、という理由もある(母和子談))

 

しかし、お祝いで買ってもらった新しい自転車に
LARK子を乗せるだなんて面倒見がいいにも程があるよ。
私が何度も転んで傷をつけるとかもったいないとか
思わなかったんだろうか。

 
案の定あたしは何度も転んで
あちこちすりむいて涙がでる始末。

 
「もう勘弁してください・・・」
と言っても
「まだまだいくわよ!!!それっっ!!」

ひたすら自転車の後ろの荷台を押さえて
何度も何度もLARK子を走らせる。
どんなにLARK子が出来なくても決して匙を投げない。

 
おかげで、私はなんとか2日で乗れるようになった。

 
そして母和子からすぐ自転車を
買って貰った。

なおちゃんの後ろをいつも自転車で
走ることができた。

 

こんな調子で
私は、へたくそでもみんなとプールで
泳ぐことができたし
(お、それで「黒への道」に進めたのか・・・)

 

なわとびだって二重飛びができるようになった。

 

ありがとう、なおちゃん。
感謝しているよ、なおちゃん。

 

でもね、なおちゃん、
左利きの鉛筆を
右手に矯正された日々のことは
忘れもしないよ。


このうえもなく厳しかったよ。

 

右手矯正編につづく。

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