カテゴリー「三ツ星日記☆☆☆」の記事

2012年10月28日 (日)

ご無沙汰してまーす

久し振りの更新です。

これを機会にまた書こうかな。
まずはご報告。


今年の3月に入籍しました。

本当です。
よく、嘘つきますが、
つかウソばっかりつきますが
これは本当です。



真っ赤なバラも
白いパンジーも
ないけど

いわんや子犬も
居ないけど

私の横には
少し加齢臭ただよう
「あなーたー」が
「あなーたー」が
「あなたー」が

居てくれることになりました。


ご存知の方も
ご存知ではない方も
いらっしゃるでしょうが、
つか、ここではご存知でない方ばかりでしょうが、
相手はここにたまに登場する、ねんごろです。
私の周りの大好きな方々の
応援と支えと

そして

一緒に呑んでくださった
御蔭でございます。

本当にありがとうございます。


しかし、
歳はとってもまだまだ未熟!

これからもご指導ご鞭撻のほど
どうぞ宜しくお願い申し上げます。



LARK子と言う名のキャシーより

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2009年3月27日 (金)

わたしとしたことがっ♪

 
TOKYO FM局で放送されている
「ジェット・ストリーム」
という音楽番組がある。
 
こちら現在も放送されている事実にびっくり
2009年3月までは伊武雅刀が。
2009年4月からは大沢たかおが機長となる。
 
(JAL提供の番組だからパーソナリティは機長という)
 
 
私は機長が城達也(初代機長)のときに聴いていた。
 
 
オープニング曲フランク・プーセルの
「ミスターロンリー」のイントロが流れると
 
「~光と影の境に消えていったはるかな地平線も
 瞼に浮かんでまいります。
 日本航空があなたにお送りする音楽の定期便、
 ジェット・ストリーム。
 皆様の夜間飛行のお供をするパイロットは私、城達也です。」
 
なんつー、渋い声のナレーションが
たまらない番組であるが
 
このラジオ番組に絡みたいのではない。
 
 
当時、このオープニングの後に流れる
CM曲が、
 
1972年にヒットした、
ギルバートオサリバンの「Alone Again」だった。
 
この方(※音でます。携帯の方見られないかも。です。)

 http://www.youtube.com/watch?v=D_P-v1BVQn8&feature=player_embedded
 
 
 
実は、十代から7年程付き合った彼の家で
たまさかの逢瀬を楽しんでいる際
 
ラジオからこの曲が流れると
 
「じゃ・・・またね。」
 
と、まだ一緒に居たい気持ちを抑え
私は家に帰らなくてはならなかった。
 
そんな想い出の曲である。
 
 
(そんなこと書いている自分がはずかしい) 
  
  
だから、この曲を聴くと
その彼のことや
若かりし頃の自分を思い出し
 
 
ああ、あのときのあたしは
本当に痩せていた・・・
 
としみじみ・・・する。
 
 
いやいや、そんなことじゃなく。
 
 
それではなんだ、と言われれば、
 
実はこの曲の日本語版があるということを
今日初めて知った。
 
 
草刈正雄や金井克子も歌っていますが
この九重佑三子(初代コメットさん)のが秀逸だと思う。
 
こちら (歌詞つき)

http://www.youtube.com/watch?v=G2tuyFseQTc&feature=PlayList&p=ECDF960C4FE0F89C&playnext=1&playnext_from=PL&index=49
  
 
 
さすが、なかにし礼。(作詞)
 
先生の底力が爆発し暴走しまくった
歌詞となって仕上がっている。
 
 
冒頭の
 
「♪~わたしとしたことが!あなたに棄てられて!」
 
の一言で
 
彼への気持ちや
せつない思いや
甘酸っぱい想い出が
 
 
一蹴されてしまいました。
 
   
YouTubeを観れない方のために  
日本語版の歌詞を少しだけ紹介する。  
  
 
  

◇◆◇◆
 
 
『また一人』 九重佑三子
 
 
私としたことが あなたに棄てられて
  
生きてることが 空しくなっちゃって
 
 
高いビルの 屋上から
  
身を投げて 死のうかと思いつめていたら
  
 
よせ!と言って 声をかけて来た
  
やさしい男と 恋したけれど
 
  
つまらなくて 今日からまた  
 
 
私は一人
 
 
◇◆◇◆
  
  
この名曲をこれだけ殺伐とした歌詞に  
変えるとは、ずいぶんと思い切ったものである。  
  
  
それなのに。
  
  
不思議と気がつくと
 
「わたしとしたことが~」と
 
ついつい口ずさんでしまって
頭から離れないのさ。
 
  
『思い出より笑い』  
  
これが私の生きる道  
である。  
   
  

しかしオサリバン的には
いいのだろうか。
  
と、問いたい。

 
  

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2007年9月28日 (金)

ある男の悲劇

先日、山手線で


「おにぎりといえば(かもめ食堂日記を思って)
中学の時
「私、 口は小さいけれど中身はでかいの」
と言って持っていたおにぎりを丸ごと一個(結構でかい)
口に入るのを見せてくれた、J子ちゃんって
元気かしらー?」


なんていうことを考えながら
ボーっとしていたら

ある駅で乗ってきた、
4歳ぐらいの、金髪の外人の子(超可愛かった)が
ニコニコうれしそーに
私の向かい側の、空いているシートに
座ろうと向かっていたのが目に入った。


瞬間私は、「あ、違う・・・」と思った。


彼女が「空いている」と思った席は
その席に座ろうとした男が
網棚に荷物を置いている最中だったのだ。


何も気付かず男が、座った。

(僅差で彼女は座れなかった)


その直後、

「NOHHHHHHHHH!!!!!!」

この世の終わりか!ハルマゲドンか!
断末魔か?!
というほどの、叫び声が。

青い目を滂沱の涙で濡らし、
キャンディーキャンディーヘア
(分かる人しか分からない)の金髪を振り乱し、
両の拳を握り締めて、激しく抗議をし始めた。

私は英語がチンプンカンプンなので
ほぼ想像だけど、こんなことを言っていたよ。
たぶん。


金髪娘「その席は、私が座るはずだったのよ!!
    私が座るはずだったの!!
    それを奪ったのは、
    彼よ!!彼よ!!彼なのよ~~~!!」

この、「彼よ!!彼よ!!」と叫ぶたびに
男の鼻先に、マシンガンのように指を指す。

男は、もう目をぱちくりしていたよ。
(そりゃするよ。)

後から、乗ってきた母親に
猛烈に、抗議をしギャンギャン泣き出す娘。

(でもすごいんだよ、ギャンギャン泣いているのに
 指差す仕草は、絶対やめないの)

ようやく空気が読めて、男は席をゆずろうと
したんだけど、母親が、

「娘のワガママなんだから、譲らなくて結構です。
 どうぞ、お座りください。」
と言って(たぶん、そう言った)
娘を座らせないうえに激しく叱りだす。

そうなりゃ、もう金髪娘も負けじと泣くでしょ。
それを黙らそうと、母親が猛烈に怒るでしょ。
そのうち、
「母親に怒られることになったのも彼のせいよ~」
と(たぶん、たぶんそう言った)
また、男を指差すでしょ。

これが、何駅過ぎても続くんだよ。

男は、席を立つこともできず
いたたまれない様子だった。

可哀想に。



そう言えば、私も20代のとき
朝の地獄の激混み埼京線で
いつもの駅から乗ったら、

「あら空いている♪」

とすかさず座席に座ったの。

当時、会社の同僚男と一緒に通勤していて
私の前に立った同僚に

「すごいよー。座れちゃうんだよ。
 埼京線で座れちゃうんだよ。
 どんだけ、私の日頃の行いがいいってことだよね。」

と無邪気に笑って話しかけてんのに

同僚は、軽く無視。

私は、
(自分が座れなかったからって無視するとは
 小さいやつ)
と思っていたの。


終点で駅に降りて同僚が言うには、
座席に座ろうとした知らない男が
網棚に荷物を置いている最中に
いきなり座ったんだって。

そう、金髪娘と同じ。

しかし、私の場合は座ったのだ。
知らないで。
荷物を置いていた知らない男は
終点まで口をあんぐりしていたから
同僚は、他人の振りをしたんだって。


金髪娘は座れなかったが
私は、座った。


なんとなく勝利感あふれた気持ちで
山手線を降りやした。



はい、
どんと晴れ

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2007年6月26日 (火)

黒への道 完結

ちょっと、引っ張ったけど

ええ、ええ、確かに
2年生の夏で、無事黒(50M泳げる証)は
獲得したよ。

(軽ーく、結果報告)

ホントはね、

黒に向かって果敢に挑戦し、何度もくじけそうになる自分を
奮い立たせ、最後の最後でみごと50Mを泳ぎきる。
黒の生地を掲げながら、うっすら涙を浮かべて
家で結果を待つ、母和子のもとへ走るLARK子・・・

当然バックミュージックは、
「ロッキーのテーマ」だろー。

なーんて書く予定であったが
それは全てLARK子の記憶違いだった。

本当はこうだ。

転校したての小学校1年生の夏に
突然、25mを泳ぎ母和子を驚かせた。

2年生になり、
「だったら当然次は『黒』!」
と盛りあがったLARK子・・・

ではなく、母和子。

しかし、LARK子は黒へのプール検定を受けない。
何度言っても受けない。

それはなぜか?と問いただせば、
「自信がない」
という。

(って母は言ったけど私は1度は受けたよ・・・
 失敗したけどさ。)

今年最後のプール検定の前日。
最高潮を迎えたのは、私、
ではなく母である。

「50mに挑戦をして、だめだったのならいざ知らず
 何もしないで後悔をするなんざ、

 私の子供ではなーい!!

 見よ。
 (とテレビを指差す。甲子園の試合真っ最中である。)
 
 この甲子園の選手達を!
 この夏の暑い中、勝利に向かって戦う姿を!

 この姿こそ大事なのだ!

 LARK子ちゃんもこのように・・・」

(ここから長いんで割愛)

なぜに50m泳ぐのに甲子園?
と、思ったがこの勢いに押されて私はプール検定へ。

死に物狂いで泳いだよ。(ということは憶えている)
だって泳がないと殺されるもの。
母に。

苦し過ぎて、鼻水は出るわ、涙はでるわ、
むせてプールの水のむわ、それがまた苦しいわ、で・・・
もう思い出したくないよ・・・

どんだけ~(by IKKO)
時間が掛かったのかは分からないが
気が付いたら50mを泳いでいた。

やっぱり、うれしかった。
何かを成し遂げるということは
辛く苦しいこともあるが、その分喜びも増す。
ということを学んだ2年生の夏であった。

ま、涙も浮かべず、走らなかったけど
LARK子はニコニコ(にやにやだったかも)
しながら、母の待つ家に帰りましたとさ。

めでたし。めでたし。


いや。
終わっていなかった。
母は終わっていなかった。

その夜、一人不得心な母和子。
そして、
和子の中で何かが閃く。

次の朝。

私は、『黒』の生地を縫い付けてもらった
スクール水着を見て、

びっくり仰天したよ。

通常、
お腹の下のほうの左側に縦3cm、横5cmの長方形で
縫い付けるんだが・・・

長方形に縫った黒の生地のその周りに、
幅1cm強のレースが、白いレースが
額縁の様に縫い付けられている!!

なんじゃ、こりゃー!!

わたしゃ、目を見張ったよ。
こんなことしている生徒、人っ子一人居ないよ!!

言葉を失い、母をみたら

「黒って、スクール水着に全然映えないのよね~。
 でも、なぜ?
 だって、一番すごいのが黒でしょ!
 これじゃ、水着に縫い付けても分からないじゃないの!
 納得いかないわよ!!
 いいでしょう。これ。
 これなら、バッチリ目立つわよね~~るるるるる~♪」

私は、納得していたよ!!十分に!

普通でよかったのに。
みんなと同じにして欲しかったのに。ううう。

でも、満足顔の母には言えなかったさ・・・。



これが、この思い出の忘れられない出来事である。



残酷にもその日もプールさ。
ついたあだ名が

「レースクイーン」 

・・・意味違うけどね。

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2007年6月25日 (月)

黒への道① の訂正

今日、母から電話があったので
そのときついでに

「ねー、小学校のプールで
 黒目指したのってさ・・・」

と、聞いたところ
私の記憶はまるで違っていた。

日記では、4年生の時に黒を目指したと
ぬかしていたが、

何と、2年生の夏だとさ。

25mを泳ぎ、緑を獲得したのが1年生の夏という。

どうしたんだ。私の記憶。
しかし、すごいぜ!小2の俺!

実は、私は東京から埼玉へ引越し
引越し先の小学校に転校してから1年程、
記憶があまり無い。つか、ほとんどない。
きっと、転校生としてのプレッシャーが
大変なものだったんだと思う。

母和子が語るには、

「転校して、最初の授業参観がプールだったのよ~
 そのうち25m泳げる子達が泳ぐ時になって
 LARK子ちゃんも、その子達の列に並んでいて・・・。

 そんなに泳げることを知らなかったからママ、
 ぎょっ!!としたわ~
 頭がおかしくなって、つい泳げますって
 手を上げちゃったのかしら?!
 ってド~キドキしたもの~~
 
 でも、スイミングスクールバリバリの子供達の中で
 LARK子ちゃん泳いでいたわよ~ 
 
 どんどん周りの子が泳ぎ終わっちゃって
 とうとう最後の一人になっても泳ぐのよ。

 ようやくゴールになったときには周りのお母さん達
 拍手していたわ~

 それで、緑(25m泳げる証)をもらえたの。

 2年生で黒に挑戦する女の子がいなかったから
 すごいと思ったわ~~」
 
 (と、更にここから30分話す。私に仕事させろ。)

へー。
そうだったんだ。

そこで、次の夏から辛い黒への挑戦が
始まったのか・・・

「あのときのLARK子ちゃんったらほんっとに、もう!!
 あーでこーで・・・」

と、話に止まらなくなった和子から
再度確認した黒への道。

母の思い出エピソードを加え
次回こそ続きを。


そういえば、
母からの電話の用とは何かと言えば

「LARK子ちゃん、
 一句ひらめいたから聞いて。
 そして、ブログに書いて」

・・・はあ。

趣味で俳句をやっている訳でもなし。

最近、孫と過ごす時間が増えた
母の喜びを句に認めたというもの。

お願いだから、

自分の、じ・ぶ・ん、の
(手書きの)日記に書いてくれ。

(続く)

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2007年6月22日 (金)

黒への道①

朝目覚めて、鼻からもれる息が
うっすらアルコール臭い・・・
そんな日を今日で3日間、連チャンで迎えている
LARK子でやんす。

で、そんな日は午前中は自宅で仕事。

平日の日中家に居ると暑いんで
窓を開ける。
窓を開けると目の前の小学校から
元気な子供達の声が聞こえてくる。

この聞こえっぷりからして授業はプールだね。

先生の規則正しい笛の音の後に
「いーち、にー、さーん、 ごー、ろーく、しーち」
と元気な声。

(あー準備運動かぴら。)

と思う。

「ピッ!・・・ ピッ・・・ !ピッ!・・・」
と聞こえると

(飛び込みでもしているのかぴら)
と思う。

「きゃー!%□$&sかoseawea!!!」(意味不明の叫び)
と聞こえると

(自由時間だね・・・。これが一番楽しいんだよ)
と思う。


そんな小学校の様子に心を奪われ気がつけば14時。
やばい。行かなくちゃ仕事。


その前に。

私が通っていた小学校の
プールの思い出を。


その小学校、泳げる距離によって色が決まっており
その色の生地をスクール水着に縫い付けなくては
行けなかった。
まあ、大きさとして縦3㎝横5㎝ってとこか。

色の種類は

・白 ・・・水に顔をつけることすらできない。
・赤 ・・・浮く事のみ辛うじてできる。
・黄 ・・・5m程度泳げる。
・水 ・・・13m泳げる。(25mプールの横の長さ)
・緑 ・・・25m泳げる。
・黒 ・・・50m泳げる。


水着を着ればひと目で、泳げるヤツかが分かるのだ。
どんなにカッコいい男子でも、水着に白の生地が
あったりすると、もう興ざめ。
そんな悲劇につながる事もしばしばあった。

たいてい低学年には白・赤が多く3,4年生は黄色水色、
そして高学年には緑が多くなる。


「黒」


この色はあまり居ない。
小学生で50m泳げるというのは
スイミングスクールをバリバリ通っているヤツか
北島康介ぐらいじゃなかろうか。

この色をしかも女子がつけているのは稀であった。


6月になり、プールの授業が始まると
夏休みまでに何度か行われるプール検定
(これで次の色を目指す)が始まる。
緑色を縫い付けている生徒は、栄光の「黒」に向けて
色めき立つ。

しかし、スイミングスクールに通わず独自の練習で
頑張っている生徒にとって「黒」への壁は厚く重い。


私がその生徒の一人であった。


私はスピードは遅いが、2年生の時には緑色を獲得。
(しかし、フォームは見られたもんじゃないよ。
クロールで息継ぎしたら思い切り顔が真上向いちゃってたし。)

でも、学校のルールはフォームじゃない。距離だ。
速さじゃない。距離だ!
50m泳げればいいのだ!

「後わずか」というところで黒を逃した辛い夏を何度か迎え
今年こそ!「黒」を!
と気合を入れた4年生の夏。


母和子の応援も力が入る。(ここで登場母和子)


プール検定で、またもや黒を逃し
がっくりと肩を落として
帰ってくるLARK子に和子は
厳しい叱咤激励をしたことだよ。

だんだん、「黒が欲しい」という気持ちより
母の厳しい叱咤が「もう嫌だ」という気持ちのほうが
上回るほど。


プール検定の実施も残すところ
今年最後の1回。

その前日、LARK子の黒への情熱は
最高潮を迎える。


・・・・

と言ったところで
思いのほか長文となったので、続く。

(つか、仕事へ行かないと・・・)

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2006年10月 2日 (月)

間違い

青森帰りの新幹線にて。

九月中旬って、やはり行楽シーズンなのか
新幹線の席が、一緒に行ったねんごろ相手と別々になってしまった。。

私は、もういい大人なのに
新幹線のチケット(飛行機のチケットも切符も全て)をいつも
「俺が預かる!」
と、問答無用に取られてしまう。

その時も
「LARK子はここ」
と私の席を宛がわれ
彼も自分の席に落ち着き、少し経った時

「お客様ー、お席の番号をご確認下さい」
と、突然車掌さんに言われた私。

傍に、少しガラのよくないおじ様が
「俺の席に、なに座ってけつかんねん」
とでも言いたげに立っている。

そんなこと言われても私チケットもってないもーん。

ねんごろ相手を呼びつけて、確認したら
思い切り間違ってんじゃん。私。(っつーかねんごろ相手が)

 
ま。
席を間違うことなんて、たいしたことないよね。
恥ずかしくもなんともないさ。

 
だって私。
車、間違ったことあるもの。

 

昔。

 
恋仲だった彼を車の中で待たせて
コンビニに買い物していた私。
たしか冬の、特に寒い日だったので
コンビニ出た後、急いで彼の車に乗り込んだ。

「おでん買ったけどー
ちくわぶ無くてー超むかつくー」

などと、くどくど5分程しゃべって運転席見たら

 

全っっ然知らない他人だった・・・・。

 
いやー、びっくりしたよ!!
っつーか、知らない私に乗られたその人、
マーライオンのように、口を開けて絶句していた。
さぞ驚いたことだろう。

私軽いパニックに襲われたもんだから
きちんと謝れなかったと思う。
悪いことしたなー。

ホント。
間違えるにも程がある。

 
乗り込む車には
ご用心。

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2006年6月16日 (金)

ぐあーむ

先日、行ってきた~。
身近な南国、グアム。

マイミクmizuさんの挙式のために・・・

いや~
幸せな人生の門出に参列できて
秘書子も幸せになりました。ありがとう。皆様。
本当にありがとう。

グアムは色々ありまして。
それはそれは楽しみました。


実は、こそっと汚い(ホント汚い)裏話。

オプションで
「ドルフィン&バナナボート&シュノーケル」
という盛りだくさんのツアーに参加したが
3組ほど交代で乗るバナナボートに
最後の組で乗った私。

お約束なのか、最後の組がわざと海に落とされた。
当然私はぶっ飛んで。
他に5,6人ぶっ飛んでた。

海に落ちた私らは
「もう~ひどい~」
「やられたよ~」
と、知らない人同士で言い合ってて
私にも誰かが「びっくりしたよね~」などと
話し掛けて来た。


・・・実はさ
その時私は風邪を引いており
鼻水が、止まらなかったの。

海に落とされたとき、もんのすごい量の鼻水が
出ちゃって、何気に手で鼻をかんでたの。

よく洗ったつもりだったんだけど
話し掛けられた人に
「ホントビックリですね~」
って手を振ったら

鼻と手の先が、まだつながってたの。
・・・鼻水で。

話し掛けて来たその人、いい人なのか
気付かなかったのか、何もリアクションなかったが

私は恥ずかしかった!!!まじで!!


しかし、時が過ぎれば、
なーんてことなくなりました。

グアムに一緒に行った方々
実はそんなことがあったんですよ。



ダイエットも、一応頑張り
グアムの前日には
「気を抜いたら倒れそう」
までになっていたが
日本に戻ったら、あっという間に2.5キロ増。

引き続き、がむばります。

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2006年4月14日 (金)

愕然

我が家、「雨漏り」発見。
先日の雨の日。
4年前に建て替えたばかりなのに
なぜだ?!

三階建ての、三階に上がる階段の上に
「天窓」がある。
場所は、そこから。すごいわずかではあるが。

もう、発見したとき
思いっきり口があいて
あごが、下あごが、
ひざまで落ちたぞ!!

即効業者に連絡。
もう、バッチリ、きっちり直してくれ~~い!!

建て替えるときは
それはそれは色々大変だった。
うち、貧乏だったので。

母和子の長年の夢、新築三階建て。

それがいよいよ「叶うか?!」というとき
諸事情で業者との計画が滞ったときがある。

「もしやだめかも・・・」と
思い始めたある日、

母和子と弟が車で、近くに出かけたとき
国道で、なんと10tトラックに
車ごと跳ね飛ばされるという事故が起こった。

車はすさまじい姿となり、一発で廃車。

・・・なのに、二人は無傷。
歩いて自宅に戻ってきたほど。
まさに不幸中の幸いとはこのことか。

その時、事故のショックでおののく弟。
だがその隣で、母は、

母、和子は

「・・・・・三階建て、建ーーーーーつ!!」

と高々とこぶしを上げたという。
ものすごい目力だったという。

母曰く
「こーーんなに大変なことが起こったのよ!!
これは、長年の夢が叶うことだ!!
って確信したのよー!!」

・・・なんじゃ、そりゃ。

だけど、その言葉は落ち込み気味の家族に
勇気を与えてくれたので。

母和子の予言が当たったかどうかは
分からないが、確かにその後
滞っていた計画が進み、
計画を阻んでいた大きな問題も
とりあえず解決の兆しを見せ
無事、小さいながら新築の家が建ったのであった。

その時改めて思い出したこと。
母和子のあだ名は

「ブルドーザー」

目の前に困難があればあるほど
生き生きとする。
いまだ、衰えることを知らない。

話は戻りますが
まあ、そんなことや他にも色々とあって
苦労して建てた家なので、
もう、本っっ当にちゃんと直してよ~~

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2006年3月28日 (火)

妹よ

私の年の離れた妹は中学の体育の先生。
来月より新たな中学へ移ることに。
今度は、初めて知的障害者の特別学級で
教えることになる・・・と聞いた。

まだ20代の彼女にとって
本当に大変なそして貴重な経験となるだろうな・・・。
教師といっても、彼女のほうが多くのことを学ぶ場と
なること間違いない。
でも頑張ってほしいぞ。姉としては。

私が初めて接した障害者の子は幼稚園の時で
同じモモ組だったタロウ君(仮名)。
そこ子は知的障害ではなく重度の小児麻痺だったんだけど。

出来たばかりの公立の幼稚園で私たちは一期生。
そこへ入学してきたタロウ君は
体のバランスが取れず、動くと左右に大きく揺れて
一人で歩くこともままならない程だった。

これは大きくなってから「母和子」から聞いた話だけど
入学して少し経った時、他の園児の母親達から

「あんなひどい障害の子と一緒に
うちの子供を遊ばすなんてあぶない」
とか
「養護学校へ移すべき」
など
クラスの先生に抗議に出たらしい。

そのときの担任の先生は、
断固としてその抗議を跳ねのけた。
聞くところによるとタロウ君を受け入れてくれる幼稚園が無く、
沢山の幼稚園から門前払いをされて私の通った幼稚園に来たんだそうだ。

だからタロウ君の母親は
毎朝、タロウ君を幼稚園に送った後
心配で心配で心配で、
家に帰ることが出来ず幼稚園の外からずっとタロウ君を
見続けていたらしい。

またタロウ君が居たことで、他の園児達は
「他の子を同じように体を押したら簡単に倒れてしまう。」
とか
「一緒に手をつないであげなくては歩けない。」
と思うように、
タロウ君を助ける心を通じて他の人に対しても
優しくしようという思いやりが育っていたらしい。

「一年後、見ていてください。必ず想像以上の素晴らしい
モモ組になっている!」

と先生は母親達に言い切った。

それからどうしたか・・・私の幼稚園の思い出では
到底薄れてしまい「こうなりました」と語れない。
(情けない)

だた憶えていることは
朝のマラソン
秋の運動会・遠足
お楽しみ会の劇
全部タロウ君は参加してこと。

他の子と同じようにみんなが大事な
友達となっていたこと。

そして卒園式。
タロウ君は、誰の手も借りず
一人で、しっかりと、歩けるようになるほど
体のバランスが良くなっていたこと・・・

それには担任の先生がどんなに園児達全員に
心を配っていたことか。それはもう計り知れないよ。

タロウ君と共にその先生は私の大切な
思い出となっている。

・・・私の妹はそのときの先生と同じぐらいの年齢かな。
どんなことが待っているか分からないけど
私のこの思い出のようにいつまでも教え子の心に残る
先生になってほしいと願ってやまないっす。

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